TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

家庭の教育力は低下したのか

 家庭の教育力が低下したと言われて久しいが、果たしてそうだろうか…そうだとしたら、原因はどこかにあるのか…親世代が受けて来た教育そのものに原因の一つがあるのは否定できないだろう。実際に明らかに昔とは違うし公教育そのものが低下している。基礎学力の定着さえさせきれない現状を実際に見ることhがある。(一方、民間教育は強くなっている。)まあ、これは地域によっても相当な違いがあるのではないかと思われる。単純に田舎と都会と比べると生活そのもがかなり違うし、それは当然のことであると思う。 

 さて、私の肌感覚で言うと、やはり家庭の教育力は低下していて、この20年間でも相当下がっているような気がしている。その原因として感じることは親子で過ごす時間の減少だ。普段、塾生にはいろいろなことを尋ねるのだが、どうも休日に家族揃って出かけることがたいへん少ないらしい。1年に一回程度は旅行、あるいは帰省するがそれ以外はどこにも出かけない様子だ。買い物にも一緒に行くことはないし、家族で外食することも少ないようだ。もちろん、今は疫病の流行時だが、それ以前でもほぼ出かけていない様子だった。親は仕事が忙しく、実際、共働きもかなり多いし、仮に親が休みでも子どもは習い事のレッスン、部活、塾…などで親子の休みが年中一致しないことが多い。親子が揃うことさえ珍しい家庭が多い。これが家庭の教育力の低下の最も大きな原因ではないか。親子で一緒に過ごす時間が無いのだから教育をしたくても、しようがないのだ。久しぶりに顔を合わせてもじっくりと将来のことや人生のことを話してやる余裕などなく、つい「勉強しなさい」と言ってしまうのである。顔を合わすたびにガミガミ言われると、子どもの方もたまったもんではなく、反抗期と重なって親子関係はギクシャクする一方である。

 子どもが接する大人はそれほど多くはない。親や親戚、学校の先生、習い事の先生、塾の先生程度だ。習い事や塾に通っていない状況で、親子で過ごす時間が取れなければ、接する大人は学校の先生くらいしかいない。これは子どもにとっては好ましくないことだ。人格を形成する上で身近な大人の影響は絶大だし、大切である。大人の価値観や考えに触れることで成長するし視野も広がるものだ。その影響を与える大人が少なすぎるのは困る。

 子供と過ごす時間が多く取れればコミュニケーションは増える。いろんな話を聞かせてやることができる。大人の話は子どもには中々の勉強である。仕事の大変さや苦労話を聞かせることには意義がある。冗談まじりに苦労話を聞かせてるうちにいろんなことを教えることになる。そんな話を聞きながら子どもは将来のことをか投げるようになる。当然、大人の言葉や表現にも触れるわけから子供の語彙力にも影響を与えるこになる。また、どこかに一緒に出かけることも教育になる。遠くである必要はない。市内でもいいし、隣町でも構わない、あえて子どもが行きたがらない場所へ連れていく。親が行きたところへ、子どもを連れて行けばいい。親の行動に巻き込むだけでいい。そして隣町の地名を知り、何駅があるのか、そばに何があるのかを知れば、それだけで視野は広がるし、それだけでも十分なのである。一年に何度かそういう経験があるだけでも世の中へ対する目の向け方に変化が現れるだろう。成長にも大きく貢献してくれるのだ。

 教育というと誰もが堅苦しく難しいものを考えてしまい、ついつい構えてしまう。そうじゃなくて、親が子どもに伝えることはすべてが教育なのである。親の姿を見せること、親の喋りを聞かせること、親と一緒に出かけることが教育そのものなだ。とにかく時間をたくさんとって話をして上げて欲しい。そうすることが、幼い子供にはいろいろな英才教育するよりも効果が高いと思う。

 

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