TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

ネット上の奇妙な言葉に思うこと

 ネットの中では独自文化が広がっていて、変化の速さに馴染むのには時間がかかる。特に、顔文字などはその代表だ。微妙な感情を伝えたり分かりやすいのは便利だが、難解な顔文字も多い。例えば⇒( *´艸`)どんな気持ちなんだろう…わからない。

 さて、僕が気にあるのは言葉そのものほうだ。便利なものもあるみたいだが、気持ち悪い言葉も多く、不快にさえなる。その代表が「イッヌ」である。多分賛同していただける方が多いと思われるが、「犬」を「イッヌ」と書いてある。たいへん気持ち悪い。「犬」は「犬」である。「いぬ」や「イヌ」ならかまわない。「イッヌ」なんて言いにくい、たいへん読みにくい、音声的に不適格である。そりゃ、文脈や状況で「犬」とわかるが、わざわざ読み難くく、わかり難くくする意味が分からない。「犬」であることを「ぼかす」狙いがあるなら百歩譲ることもできるが、実際はそうじゃない。初めて使ったのはだれか知らないが、最初はふざけたんだと思われる。そして、周囲が乗ってしまって拡散したのだろうと思う。問題は、この「イッヌ」という表現に違和感を覚えない人がたくさんいることだ。正直なところ虫唾が走るレベルの違和感を覚えるのだ。不快なのである。言葉は長い年月をかけて変化する。時代の変化に合わせて新しい言葉が生まれるし、時代に合わない言葉へ消えていく。もちろん、言葉の変化は「言い易い」方へ変化する。「言い難い」方へは変わらない。きっと、言い出した人間にはこの感覚はない。たぶんコミュ力も相当低いはずだ。言い出した人はもちろんだけどど賛同した人も相当いるから恐ろしい。

 他にも「猫」を「ぬこ」と言うのもある。「イッヌ」はまだ「犬」に繋がりやすいが「ぬこ」で「猫」につなげるのは相当な難易度を感じる。

 言葉、言葉遣いというのはその人のい様々な感覚や性格・性質を表している。優しさも厳しさも言葉遣いには表れる。使う語彙の種類はその人も趣味さえも露わにする。だから奇妙な言葉遣いをするひとはどこか普通じゃない。どこかに変な部分を持っている。許容できるものもあるけど、できないものもある。特に人権などに関しては容赦できない感覚もある。人を見た目だけでは判断すると失敗する。でも、言葉遣いで人を判断してほぼ間違いないと思っている。

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