TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

公民の扱いが雑だ

 中学での公民の扱いが雑だ。憲法を柱とする世の中の基本を学ぶたいへん重要な科目が相当いい加減に扱われている。地理も歴史も大事だが教育の目標が生きる力をつけることなのだから、公民は最も大切な教科だと考えても間違いない。最近の中学校の様子を見れば、公民の授業に入るのは中3の9月が一般的だ。それも9月の最初からであればまだいいのだが、中旬から末ごろである。下手すると10月になってしまう。もちろん、駆け足で授業をすすめることになる。「公民の授業をやりました」と既成事実を作るだけのような進め方だ。公民は地理や歴史よりも難しい。理解にも時間がかかる。でも、生徒の理解などそっちのけで授業が進められ、生徒は丸暗記するしかない。当然、テストで点を取るためだけの勉強でしかない。生徒は、義務教育が終われば視野を広く持ち一段上から世の中を見ていかなければならない。言うまでもなく、その基礎が公民の授業なのである。必死で教えるべきだ科目である。でもこの有様だ。そして、謎なのがそんな状況にもかかわらず、定期考査では「時事問題」を出題する。このデタラメな状況いは苦笑するしかない。全く一貫性がなく筋が通っていない。

 

 我々が中学生だったころ(80年代前半)、中1は地理、中2は歴史、中3は公民(ざぶとん型)とほぼ決まっていた。中3になれば一斉に公民が始まったのだ。最近は中1・中2で地理と歴史を交互に教え、中3が公民を教える(π型)のが主流だ。この「π型」のどこにメリットがあるのか理解に苦しむ。絶対「ざぶとん型」が自然だし、学習も進めやすいはずだ。どういう狙いで「π型」なのかは全くわからないが、それであれば公民も並行してやるべきではないだろうか…とさえ思う。

 

 こういう点を見ても学校が本当に生徒のことを考えているとは思い難い。もしかしたら、自分たちの都合で授業をし、自分たちの仕事として授業をし、自分たちの満足のために授業をしているのではないか…そんなふうに感じている。

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