TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

授業動画の作成を通して

 コロナのために、最近授業動画を作成しているが、授業動画を作ることで、いろいろ分かったことや気づいたことがある。私は基本的に動画による授業は、高学年の生徒、成績上位の生徒にしか活用出来ないと思ってきたが、今も正直なところその思いは大きく変わっていない。やはりライブ授業に勝るものは無いと思うし、集団ライブ授業ほど有意義な形態はないと思っている。しかし、何事にも一長一短がある。集団ライブ授業にも弱点はある、もちろん集団の規模にもよるが、やはりタイムロスは多い。確認テストの点数聞くだけでも人数が多ければ、驚く程時間が奪われる、プリントの配布でも同じである。また、学力差が生むロスもある。もちろん、そのネガティブな部分はなるべく消えるように授業を組み立てるが完全に消せるわけではない。しかし、確実に授業を聞かせることができる強みは圧倒的だ。生徒を授業に参加させ先生の話に惹きつけることはやりやすい。

 一方、授業動画だと一方通行に伝えるだけだから理解しているかどうかはともかく、聞いているかどうかさえ分からない。この辺りはどうしようもない。だから、授業を受ける側の生徒の意識を高めること、授業の受け方しっかりと仕込むことが何よりも大切になる。相当教育をしなければならなくなるし、指導力がものを言う。しかし、授業動画の作り方一つでこの状況は打開できる。一つは動画の時間設定だ。なるべく短く設定する。50分のライブ授業とそっくりそのままの50分動画はいけない。半分以下にしてやる。これだけで、集中力は維持しやすい。長くなる場合は幾つかに分割すればいいのだ。そして、もう一つは発問をきっちり入れることだ。生徒を授業に参加させる最も大事な部分は先生の発問だ。思考する問いかけを上手く組み込むことだ。さらに私が意識しているのことは、生徒に音読させたり、発音させたりすることだ。実際にやっているかどうかは見えないが、全員やっていないということも考えにくい。そして、これこそ授業姿勢として教育すればいい。そのういち理解できるはずだ。一方的な授業動画だけでやろうとするからうまくいかない。限界もすぐやってくる。ライブ授業と授業動画は異なるが、お互いのメリットは活かせばいいのだ。そういう観点で授業動画を作っていると可能性の広がりを感じるのだ。だから作り始め頃と比べると最近は「こうしたら面白いな」「これは、いけるかも」などと思う瞬間が増えてきた。そういう意味で授業動画に対する認識は、以前の自分とは変わりつつあるのだ。今は非常事態なので、できることは何でもしたいし、その方法をとことん追及していきたいと思う。とにかく挑戦しないと始まらない。ぼけっとはしていられない。

 しかし、ライブ授業のさらなる可能性も発展も同時に強く感じているのだ。

ちなみに、授業動画作成は恐ろしく時間がかかる。保存したりアップロードするだけで膨大な時間がかかるんですよね。それがダメ。

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