TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

何の主張なんだろう…

ツイッターを見ていると、

・私は聖人君子ではありません。

・私は教育者ではありません。

などと宣言しているアカウントがたまに見受けられます。

聖人君子…という主張が学校の先生に、教育者では…というのは塾講師に多いような気がいます。この宣言は一体なんなんでしょうか。先生も普通の人間ですから、聖人君子でないのは分かっています。ざっくりいえば、聖人君子とは教養も人格も破格の人ですよね。具体的には釈迦や孔子あるいはマザーテレサのような方ですよ。そらりゃそうです。聖人君子のような人はほぼいません。いい人はたくさんいますが、聖人君子には程遠いです。ですから言わなくても分かっています。私はこの言わなくても分かっていることをわざわざ宣言するその人の考え方が気になるのです。聖人君子でないこことを宣言することで、「聖人君子ではないからそんな仕事はできません…」「聖人君子ではないですから休みなしでは無理です...」「聖人君子ではないので24時間生徒のことを考えることはできまえん...」と言ってるように思えるのです。そりゃそうでしょう。できないこともあるし、休み無しでは無理です。先生にもプライベートの時間は必要です。そんなこと当然じゃないですか。子供でも分かりますよ。ですから、わざわざそんな主張をすることで自分を守ろうとしている姿が見苦しく感じるのです。その先生の人柄が見えてしまってがっかりなのです。先生にはある程度の器を持って生徒に当たって欲しいですし、大きなものを期待するのは当然でしょう。ですから、こういう発言で狭量さを示されるとがっかりなのですよ。もちろん学校の先生には、過酷な勤務実態はありますよ。それはそれで別問題なのです。生徒や保護者からの期待は確実にあるわけですから、小さい事なかれ主義者であることを宣言するようなことではダメなのです。がっかりさせてはいけないのです。

 

 「私は教育者ではない」と宣言する塾講師の多くは「私は勉強を教えているのが仕事、だからそれ以外は知らない」「成績は上げてやる、それ以外の指導はしない」「学習指導以外の指導など面倒くさくてやってられない」というのが言いたいところでしょうか。確かに塾講師の仕事は学力を上げることです。そして、目標とする高校や大学へ導くことです。多くの親も生徒もそれを求めているのです。しかし、学力だけを上げるのは意外に難しく、学習を支える学習以外の部分の指導をしなければならないことは多いのです。例えば、忘れ物が多い生徒は学力が低いのです。となれば、忘れ物をしなように指導をする必要があります。遅刻や欠席が多い生徒も同様です。生活リズムがおかしい生徒も当然です。ですから学習以外の指導は必然的に発生するものです。また、生徒の学力を上げるためには、モチベーションを上げることも極めて大切です。そうなると、いろいろな話をしてあげないといけません。世の中の仕組みや人生のポイントを語ってやることも必要なわけです。ですから、学習内容だけの指導というのは極めて不自然なわけで、逆に極めて高度な指導になってしまうのです。もちろん、器用な先生もいますからね…でも私はそんな器用なことはできません。

 親も先生も子供の前では教育者です。。いいえ、すべての大人が子供の前では教育者です。おかしなことをしていればその場で指導しなければならないし、普通は指導するでしょう。教育者であるか否かを主張することに何の意味も価値もないのです。しかし、それはそれでいいという生徒や親ももいますから、こういう先生もいるんですけどね。私はそういうのは無理ですわ。

 

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