TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

死ぬまで勉強って言われてもね…

 昨日、中1と中2の生徒に、「いつまで勉強しなければならないのか」という問いをぶつけてみた。すると中1はまちまちだったが、学校を出るまでという返答が多かった。このときの学校は「高校」を指す生徒も「大学」を指す生徒もいた。しかし、中2の方はほぼ全員が「死ぬまで」というう認識で、その意識の高さに驚かされた。どうやら「人間は一生勉強だ」のようなことをどの親も言っているようだった。親はこれをよくいう。私も子供の頃よく聞かされた。しかし、子供の頃に「一生勉強だ」いなどと言われるとたいへん重苦しく、しんどいものを感じてしまう。下手すると絶望に近いもの感じることさえある。うちの中2の生徒もそうだった。「死ぬまで勉強」という言葉が出たときは本当に重苦しい雰囲気だった。確かに勉強は楽ではないし、しんどさもある。やりたいころを我慢して取り組まないといけない場合もあるし、大量の宿題と向き合わないといけないこともある。でも、喜びも楽しさもあるではないか。勉強は本当は楽しいものなんだ。それを忘れている、いや、それを知らないし、感じていないのだろう。これではいけないと思って、自分が今趣味でやっている勉強のことを語ってあげた。

 生徒たちが勉強を苦行としか感じないのは、大人が悪い。特に先生の責任は重大だ。つまらない授業をして、面倒くさいことばかりやらせて、褒めもせず、適正に評価もせず、テスト問題は難しいだけで、優秀な生徒だけがちやほやされるそんな状況を作り出しているのは、学校制度と先生たちだ。もちろん義務教育だし入試もあるから生易しいことを言っている余裕はない。面倒くさいことからの学びも多い。でも、それとこれとは話は違う。やはり勉強の素晴らしや面白さをしっかりと理解させてやり、学校を出てからも進んで勉強ができような姿勢を養い、趣味で勉強ができるようにしてあげるのが、義務教育の真の目的ではないのか…と思うのである。

 もちろん、私も勉強を教えるという立場である以上は大きな責任があり、そのことを再認識した日となった。いろいろと作戦を立て実行したいと思う。

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