TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

短所に救われることもある

 私の自宅(大和高田市)から5kmほど西の方に二上山という山がある。美しい山の形が二つ並んでいて、向かって右の方が高くて雄岳と呼ばれ左が雌岳と呼ばれてる。標高は500メートルほどなので比較的登りやすく多くのハイキング客が訪れる。この辺りでは有名な山である。しかし、この美しい形が見れるのは限られた角度だけである。少し緯度が上がったり下がったりすると見る角度が異なり、美しい二上山の形は一瞬で崩れ去る。二上山ではなく普通の山になってしまうのだ。ちなみに、ほぼ同じ緯度で大阪側から見るとちゃんと「フタコブ」は見えるのだが、奈良側から見るほどの美しさはない。むしろ不細工だともいえる。本当に見る角度によって全然違う顔を見せる。しかし、これは山だけではない。何事も同じである。物事にも人にもそれぞれいろいろな顔があるし、我々は普段その一面しか見ていないのだ。自分のことでさえも。

 

 人の長所も短所も同じだ。自分が長所や短所と思っている部分にも別の面があるはずだ。長所と思っている部分にも弱点はあるかもしれないし、短所だと思っている部分も強みが隠れているかもしれない。だから、コンプレックスの塊で自分には短所しかないと思っていても、その短所の中にも強みがあるのだ、短所の数だけ長所が隠れているかもしれないのだ。

 

 そんなことをはっきりと教えてくれる物語が、「泉のほとりの鹿とライオン」というイソップ寓話だ。次にあらすじを紹介する。

 

【あらすじ】

 立派な大きな角を持つ牡鹿がいた。彼は水に映る自分の姿を見て誇らしげに思う。あまりにも立派な角に自身でもうっとりするほどのかっこよさなのである。しかし、脚はどうも細くてみすぼらしい。彼は自分の大きくて立派な角は大好きだが、ヒョロヒョロのに見える脚はは嫌いだ。大嫌いなのである。格好悪い自らの脚に軽蔑さえしている。そんなことを思ってじっとしていると、ライオンが現れ牡鹿に襲い掛かる。牡鹿は必至で逃げる。足の速い牡鹿にライオンは追いつかない。十分に逃げ切ることができる速さなのである。牡鹿は逃げ切ったところで森に入る。すると立派な誇らしげな角が木の枝に絡まるではないか。角と枝が絡まってしまい動きたくても動けない。身動きが取れないところへライオンが追いつき牡鹿を捕まえる。そこで、鹿は思う。「軽蔑していた脚で救われたのに、誇らしく思っていた角が原因で命を奪われることになるとは何て皮肉な…」

 

 物語はこれで終わる。まさに長所が自分を危機に追い込み、短所が自分を救うのだから、見事なまでにもう一つの側面が現れている。普段、考えもしなかった面である。これは鹿自身が最も驚いただろう。これはもちろん極端な例だが、自身の長所や短所、強みや弱みというものをしっかりと見つめなおしてみたい。何かが見つかるかもしれないし、すぐに見つからなくても意識しておくだけもいいのではないか。自己肯定感の低い人は特に意識して欲しいものである。

 

 それにしても、この物語は本当に多くのことを示唆している。もちろん子供にも読んでもらいたいが、大人にも読んでもらい。スランプに陥ったときはこの観点で自分を見つめればいいのではないか。

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