TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

神様は自分

 汚いトイレは放置しておくと、どんどん汚くなるものです。汚れていれば、自分がさらに汚すことに疑問は感じません。申し訳ないとも済まないとも思わなくなるものです。しかし、きれいだとどうでしょうか、ピカピカのトイレならどうでしょうか。まともな感性があれば普通は気を使いますよね。汚さないように慎重に利用すると思いますし、万一、汚してしまったら、自分で掃除するようなこともあるでしょう。トイレが美しいとはどういうことかと言えば、当然ですが、誰かが掃除しているということです。きれいなトイレに入ると、誰かが掃除している様子が想像できるのです。そして、その人に対する感情移入がおこりますから、自然と汚さないようになるのですよ。これはトイレに限ったことではありません。埃がひとつもなくきれいに掃除が行き届いたところへ行くと、誰かの気配を感じます。誰かの存在を感じることができるものです。その誰かが神様のようなものではないでしょうか。

 随分と前に「トイレの神様」という歌が流行りました。

トイレには美しい女神様がいて、トイレをきれいにしていると、自分もきれいになる…といった内容の歌詞でしたね。歌全体はトイレ掃除を通しておばあちゃんに感謝を表す歌となっていますが、この女神様というのは他人が感じる「誰か」だと思います。その「誰か」は掃除をした人そのものであり、女神様は自分自身ではないでしょうか。トイレに限らず掃除をすれば爽快な気持ちになります。きれいにすることで自分自身が浄化したような気になります。いいえ、実際に心が美しくなっているのです。ですから、爽快な気持ちになるのです。心がきれにになれば、言うまでもなく容貌も美しく変わりますよね。そういうもんなんですよ。ですから、神様とは自分自身であり、トイレがきれいな場所には神様のような素敵な人がいるということなんですよね。昔、「荒れている学校はトイレが汚い」ということをよく聞きました。荒れた学校には神様はいないのです。

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