TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

もし、私が鳥ならば…

If I were a bird, I could fly to you.

(もし私が鳥ならば、あなたのところへ飛んでいけるのに。)

 言わずとしれた、仮定法過去の導入例文である。私も高校生のときこの例文で習ったし、もちろん私よりもずいぶんと上の世代の方々も、この例文で仮定法を学習した方は多いと思われる。

 さて、今朝、高2生の文法の教科書の仮定法を見ると、なんと、まだこの例文があるではないか。最近の市販されている参考書には、この例文はあまり見られなくなっているので驚いた。実は、私はこの例文が嫌いである。たいへん気持ち悪い例文である。「私が鳥なら…」って、なんか恥ずかしい。なんとも言えない恥ずかしさを感じてしまう。だいたい、こんなことは考えたことはないし、一体こんなことを考える人がいるのだろうか…全くリアリティがない。だいたい、鳥になって飛んで行っても、相手は気付かないし、もはや人間でなくなった以上は楽しく会話することも不可能である。いいことなど何もない。とまで思ってしまう。せめて帰結節が「大空を自由に飛びまわれるのに。」だと、爽快な気分で自然と受け止めれるのだが、残念である。

 

 ちなみに、文英堂INSPIRE総合英語の例文はこうだ。

If you had a magic carpet, what would you do?

(もし、魔法のじゅうたんを持っていれば、あなたは何をしますか。)

仮定法らしくて「鳥ならば…」よりは良いと思うのだが、「魔法のじゅうたん」っていうのがどうも引っかかる。もしかしたら、「鳥ならば…」よりも考える確率は低い。いや、絶対に考えないと思う。そもそも「魔法のじゅうたんって何?」と思う生徒が大半だろう。だから、この例文もセンスに欠ける。私なら、「魔法のじゅうたん」は「どこでもドア」に置き換える。もちろん脱線覚悟で。

 たかが例文だが、例文一つで印象は大きく変わるし、記憶に残るかどうかはこの例文の力も極めて大きいのである。だから、より自然でかつインパクトがあるものが好ましいと思っている。

f:id:kuri2013:20130619093320j:plain