TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

待たせることは時間を奪うこと

 最近母の世話をしているので頻繁に病院にお世話になることが多いのですが、昔と違って病院も随分と進化しています。特に昨年入院したときには進化の反面、手続きが煩雑でいろいろと説明も多くあって驚きましたね。やや過剰だと思える面もあるのですが、まあリスク回避と上質な医療サービスを提供する上では仕方がないのでしょうね。しかし、昔と変わらない面もあり、(もちろん、全ての病院であありません)驚くことがあります。それは「待たされる」ことですね。もちろん、医療の場ですから杓子定規に行くわけはないですし、何が起こるかも分かりませんからね、多少は待つことは覚悟してます。まあ、30分程度なら黙って待つつもりです。しかし、それ以上となるとね…。ちょっと穏やかではないわけですよ。実は先日、母を検診に連れて行ったのですが、全てが終わるのになんと1時間30分ほどかかったのですよ。(普通の検診です。特別な検査は何もありません。)待っている間、母も待ちくたびれたようで、いらいらしてましたね。いらいらし始めるとしゃべりだすので、それを抑えるのがたいへんで(笑)。まあ、苦労したわけですよ。しかも、このクリニックは完全予約制なんですよね。この日は12:00の予約でした。それで終わったのが13:30だったのですよ。飛び込みで診察をお願いしたのなら何もいいません。予約しているのですよ。これでは予約の意味がないのですよ。なんのための予約でしょうか…この時代に通用しないですよね。しかも、驚いたのは「すみません」の一言もなかったことです。その一言あれば留飲も下がります。ですから、丁重に抗議を申し上げたのですが、「本日は、飛び込みの患者さんがいまして…」と言い訳をしだしたのです。「えっ」ですよね。このクリニックは予約制なはず。本当のことでもそれは言ってはいけません。むしろ、特別対応していることは隠すべきだと思うんですけどね。さすがに驚きました。お世話になっているので必要以上の抗議は控えましたけどね。

 

 さて、人を待たせることはいったい何がいけないのでしょうか?

それは「時間を奪う」とうことです。待たされている間は何もできないし、どこへも行けない中途半端な時間です。ほぼ軟禁状態と変わらないですよね。もちろん、物を考えることはできます。しかし、それよりももっと優先すべきことがあれば落ち着いて考えることはできません。事前に1時間も2時間も待つことが分かっていれば優先すべき用事を済ません、関係各所にも連絡し、「さあ、待つぞ」という心構えを持って待つことができるのです。あるいは1時間もあれば短編小説なら余裕で読めるわけで、2時間あれば新書が読めますよ。事前に本を持ち込むこともできます。そうすればこの1時間・2時間は有意義な時間であり、余裕のある価値ある時間に変えることが可能なんですよ。しかし、なんの予告もなくただひたすら待たされると丸腰で診察に臨んだ者にとっては、それは穏やかではなく、もやもやとした時間を過ごすほかありません。本当に無駄な時間を過ごすしかないのですよ。これは耐えられない苦痛ですし、さらにこの苦痛は後に残ります。待たされたことで発生した不愉快な気分がかなり長く続いてしまうのです。場合によっては人に当たり散らしたり、冷静さを欠いて仕事でミスしたり、どんどん悪いことが続いていく危険性をはらんでいるのですよ。これはもうたいへんなことです。長時間一人の人間を待たせることはたいへん損失を引き起こすのですよね。でも、待たせた側は考えていません。気にもしていないでしょう。医療に携わる人間が意外とデリカシーがないのですよ。これにも驚きますよね。今後、どのように改善されるか見守りたいと思います。

 この時間感覚は人によっても異なりますから難しいところはあるのですが、どうか「待たせることは時間を奪うこと」という認識を持って欲しいですし、そう教育したいものです。久しぶりに文句を並べました。

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