TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

どうして「鳴くよウグイス平安京」を教えないのか

 時代とともに様々なものが変化しているが、教育の世界でもいろいろ変化している。変化するべきものが変化するのは構わないが、変化してはいけないものが変化したり、だれかの都合で変化させられてしまうのは誠に遺憾であると言わざるを得ない。特に、最近では、小学生に英語とプログラミングの授業を入れるようになったことと、大学入試のセンター試験の廃止はとんでもない改悪であり、このために一部の人や企業が潤う一方で、教育全体が路頭に迷うかもしれない危機に差し掛かっている。もし、ハングマンがいれば、文科省の大臣を始め、政府の関係者も処分をしてもらいたいくらいだ。

 さて、教科の内容も随分と変化している。例えば、歴史はどんどん新事実が明らかいなり、40年前と比べれば相当な変化がみられる。その代表は、鎌倉幕府の開始年である。昔は1192年、「いいくにつくろう」のごろ合わせで覚えたのだが、今は1185年である。1185年と言えば源平合戦の最後の壇之浦の戦いだ。もうあの「いいくに作ろう」は使えないのである。これは、残念。そして、世界最大の墓は仁徳天皇陵でははなく大仙古墳と呼ぶようになったし、挙句の果ては「聖徳太子はいなかった?」などという説が頻繁に聞かれるようになった。(聖徳太子は今の教科書にはあります。)だからアラフォーアラフィフの方は今の歴史教科書がどうなっているかは知っておくべきで、知らないと子供にバカにしまうかもしれない。

 そんななか、教え方も変化している。授業にパソコンやタブレットを導入し、より分かりやすい授業が提供され、先生のスキルが低くてもなんとかなったりする。最低レベルが保障されているので、決して悪いことではない。さらに上手く活用すれば昔の生徒よりも学力を上げるととができると思うし。(現実はそう簡単ではないが)

 

 おっと、無駄なことを書いてしまった。本論に入る。もちろん「変化」がテーマである。最近、気になっていることは、歴史の授業で「鳴くよウグイス平安京をどうやら教えていないようなのだ。生徒に尋ねると「聞いたことがない」「教えてもらったことがない」という返答である。最初はうちの生徒がたまたまなのかと思っていたが、いろいろな先生にも尋ねると「最近はあまり教えてないようです」という返答だった。えっ?なんで?としか思わない。「鳴くよウグイス…」って語呂合わせの代表でしょ。語呂合わせ界の神様みたいな存在だと思ってるんだが、なんで教えないのだろう。なぜなのかが本当にわからない。もちろん語呂合わせは勉強の中心ではないし、正統なやり方ではない。しかし、学習を効率的に進めるには有効だし、暗記を補助する上ではなくてはならないはず。多くの生徒はこの「鳴くよウグイス…」と出会って初めて、語呂合わせのすばらしさを知り、勉強で遊ぶということができるということも知る。そして、その後の学習にも使っていき、オリジナル語呂合わせを生み出したりする凄い生徒も出てくる。なのに…

 そして、これについては、もう一つ思うことがあって、「鳴くよウグイス平安京」というフレーズの美しさである。「いいくに作ろう鎌倉幕府」もよくできている。しかし、それほど美しくはない。語呂はいいが、言葉そのものに美しさを感じない、「鳴くよウグイス…」の方は言葉自身も美しいが、美しい平安京が目にぱっと浮かんでくるのである。本当に美しすぎる言葉なのである。私は、この言葉は年号を覚えるためではなく、美しい言葉として教えたい。そんなふうに思うくらいだ。だから、このフレーズを教えないことがいろんな意味で不思議だし、残念だと思う。生徒に学力をつけたい、美しいものとは何かも教えたい。そんな思いが普通あればこのフレーズを避けることはまずないはず。

 しかし、何かあるはず。いろいろと探っていきたいと思う。

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