TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

釣り方を知ることは自由を手に入れること

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」というのは有名すぎる言葉で、特に教育の場面では頻繁に聞く言葉です。教育者は心得ておきたい大事なことです。しかし、現状はどうでしょう。塾も学校も魚を与えまくってませんでしょうか?いろいろな先生と情報交換をしていると、魚を与えてしまっている現状がかなりあるようですね。魚を与えることで先生自身が心地よくなり、それにアイデンティティーを感じるような状況のようですね。これはまずいですよ。

 

 さて、先日、中1と中2に次の①と②のうち、どっちがいいかを質問をしたのです。

 ①毎日魚をもらう

 ②魚の釣り方を教えてもらう

すると中2は全員が②と答えましたが、中1は一部①と答えた生徒がいたのです。もちろん、選んだ理由も尋ねたのですが、やはり中2の生徒の方がしっかりしていますね。ちゃんと考えているのがわかるものでした。いろんな観点で考えることができていて嬉しかったですね。②と回答した理由はどのようなものかというと、たくさん捕れる、いろんな魚を捕れる、魚を捕ることが楽しい、暇がつぶせる...という具合でしたね。この言葉の本来の趣旨は「釣り方を知っていれば一生、生きてことができる」ということなのですが、生徒たちは違う観点でした。しかし、生徒たちの考えも間違えてはいません。特に、「魚を捕ることが楽しい」というのは大事なことですね。人から魚をもらう状況では楽しいことなど一つもありません。頭を使わなくても目の前に魚が出てくるのですよ。しかし、魚を自分でとるということは能動的に行動するいうこと、つまりしっかりと考えるということです、そして試行錯誤し、時には失敗もあるでしょう。喜怒哀楽を感じながら魚を求めて行動するのです、そんな一連の活動が楽しいのですよね。人生そのものじゃないですか。そんな風に思えればしっかりと生きていくことができると思います。

 

 そして、私がもう一つ感じたのは、魚の釣り方を知るということは魚を自由に捕れるということでもあるとうことです。自由があってもその方法を知らずスキルもなかればその自由を行使できないのですよね。それでは自由がないのも同じです。日本には職業選択の自由があります。自由なんですよ。しかし、その自由を行使するには学力・教養、技術、資格などが必要なわけです。それらを持たない者は自由に選択ができないのです。ということは、魚の釣り方を知れば魚を釣る自由も手に入るということであり、勉強して賢くなれば様々な自由が手に入るということと解釈できるのです。なかなかいいじゃないですか。

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