TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

稲田塾のこと⑤

「稲田塾のこと」第5弾です。

 稲田塾の先生は授業スキルと指導スキルが非常に高いことで高い合格実績を誇った塾でした。しかし、高い合格実績の理由はそれだけではありませんでした。「生徒を見るシステム」がしっかりとしていたのです。生徒は未熟ですから授業以外でも声をかけ励ましたしたり、話を聞いてあげたりする必要があります。それをタイミングよく行うことが極めて重要なのです。しかし、それを自由にしてしまうと偏りが発生し均等な指導にはなりませんので、稲田塾では学年主任という担任制をとっていたのです。(当時ダメな塾はこの部分が非常に弱かったのです)この学年主任は、いわゆる学校の学級担任と変わりません。ただし、一クラスではなく学年で見るのです。

 二年目以上で問題のない先生はこの担任を任せてもらえました。学年主任になるとその学年の授業を担当するのは当然ですし、成績管理(進路指導含む)、出欠管理、保護者対応(懇談、保護者会含む)など、その生徒にかかわることの全て行うのです。ですから、結構な業務量になるのですよ。「塾の先生って昼間何をしているんですか?」と尋ねられたこともありましたが、このような学年主任業務をこつこつとやっていました。教材作成をしたり、小テストの結果に目を通して指導内容を考えたり、保護者に電話をしたりするだけでも時間はかかるんですよ。

 まあ、ここまでは「なるほど」で済む内容なのですが、問題はその学年主任が担当する人数なのです。稲田塾は生徒数が非常に多かったですから、先生一人当たりの担当する生徒数も必然的に多くなります。校舎数がまだ少なかった90年代であれば、一人の学年主任が受け持つ人数は少なくて約100名、標準で約200名、多い場合はなんと約300名を超えていました。学校のクラス担任は40名ほどですよね。ですから最低でもその倍以上、5倍くらいの人数を担当するのが普通でした。小さな塾の教室長よりも担当する生徒数は上だったのです。学年主任は基本的に一人です。生徒が何人いても一人なのです。多くいると運営が難しくなりますからね。私もだいたい標準的な学年を担当していましたから、たいへん忙しかったのですね。200名だと生徒情報を正確に把握するだけも相当な力がいりますからね。でも、いまだに当時の生徒のことを覚えていますよ。生徒によっては出身中学や当時の成績も記憶していますからね。たいへんでしたが、生徒ことを知るくらいのことは別に大したことではありませんでした。たいへんなのは三者懇談なのです。中1中2は一年に二回、中3は三回三者懇談をするのですが、なんせ200名もいると、予定を組むだけでも大仕事なのです。(パソコンが普及するまでは通知文に宛名を書くだけでも数時間かかりましたよ)懇談する期間は授業は休みになるのですが、それも5日間程度ですから。足りないのです。1組あたり15分~20分として、一日最大で36組。それが5日でも180組ですから最低でも6日は必要です。しかし、これは計算上のことです。実際は保護者のスケジュールにより左右されますから、10日から2週間近くかかるのですよ。

 でも、この三者懇談には本当に鍛えられましたね。懇談スキルはもちろん上達しましたが、10日ほど懇談を続けることはある意味「修行」的側面もありましたからね。随分と強くなったと思います。でも、300名の学年主任をやっていた先輩は200名の学年主任をひよっこ扱いしていましたからね。もうめちゃくちゃでしたね。(笑)

 たぶん、全国的に見てもこの水準の懇談をしているのは相当レアだったと思いますよ。本当にすごかったのです。そして、この懇談のあとは夏期特訓、冬期特訓で一日中授業をするのですが、懇談会と比べると随分と楽しんでできましたね。今思えば若かったからかもしれませんが、それが普通でしたからね。今では無理です。(笑)

 

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