TETSU JUKU

塾業界や教育業界の問題に迫ります。

高校入試 英語の長文問題

 高校入試レベルの英語の長文は学習内容に制限があるので、どうしてもつまらないものになりがちである。特に秋の実力テストや公立入試レベルであれば、日常生活を描いたものが多いが、たいへんつまらない。留学生が来たとか、ボランティアをしたとか、といた内容が多く、日本語で読むと本当に簡単な文章だ。そして、何よりもリアリティも感じない。そんな話があるのかと疑問を持つような美しすぎる内容の文である。しかもストーリーだけではなく、正義感溢れる登場人物だとか、超模範的な生徒とか、まあ、現実世界では出会わない生徒も登場する。そんな内容だから、読後もすがすがしく後味は良い。しかし、印象はたいへん薄い。

 一方、私立高校の入試問題は各学校が独自で作るので基本的に自由である。(もちろんある程度のお約束はあるが)だから、自分の学校の考え方や作成者の意図も十分に反映させることができるし、英語の長文も読み物として質の高いものも楽しいものも多くみられる。中には見事なブラックジョークで落ちを付けるものあるし、続きが気になってしまうもの、原典がが知りたくなるものもあり、あらゆる文章がそろっている。しかし、あまりにも荒唐無稽な話のために怒りを覚えるものもある。ファンタジー的内容であっても、ファンタジーなりのお約束や、我々の想像の延長線上で物語が書かれるべきである。現在の科学や常識が発展したらおそらくこうなるだろうと思える内容であれば、構わない。しかし、あまりにも常識がないばかばかし話もあるのだ。それはもうひどい。(例えば、主人公があまりに忙しすぎて、自分が結婚したことを忘れてしまうという話があった。そんなことあり得ないでしょう。)精神年齢の高い生徒なら、作り話でも違和感を感じるだろう。

 さて、この入試問題を見ていると様々なことが透けて見える。問題作成に時間をかけているかどうか、十分に考えられたかどうかは見れば分かる。その中でも最も感じることができるのは作成者の力量や学校の考えなどである。問題の難易度と質はその先生の指導レベルや指導哲学を表し、それは学校を代表することになる。だから、どんな学校かを知るための一つの側面でもある。だから、学校はよりよい質の高い問題をつくることは良い宣伝にもなるのである。実際、入試問題の質を生徒や親に語る塾の先生もいる。しかし、残念ながら、何も意識していないような問題に出くわすことも結構ある。それだけで、学校の姿勢ややる気などもなんとなく分かるのである。

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